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こないだドキュメンタリーを見ていたら、登場人物が昔語学学校で知りあった北アフリカ人男性にとても似ていて、それもそのはず国籍が一緒。移民の子で、ここで育ったが二重国籍ってのが、この国にはごまんといる。日本でも地域によって習慣や言葉は微妙に違うが、こういう移民の子孫となると宗教から言語から顔つき、体型などまったく異なる。ここに住んでると、人は違って当たり前、なんてのはきれい事に思えることがある。そんな悠長なこと言ってられないからだ。身の危険さえ感じることもある。その根底には上に挙げた違い以上に経済的格差ってのが大きくて、貧困が社会を不安にしている。繁華街を歩いていると、毛むくじゃらでワキガで図体だけはでかいおそらくトルコ系の若者が周りをバカにしたような目つきでうろついていて、あの力の持て余し具合に、一目で溜まっているのが分かる。いろんな意味で。自由にセックスもできないし、力は強いし、民族意識も強いし、まあそれにしても、ヨーロッパに来といてなんだよと思わないでもないが、彼ら、一応ヨーロッパで生まれたヨーロッパ人だ。でも中身はトルコ人

北アフリカ系にも思うが、こういうダブルスタンダードで生きていて人格にも影響するだろうし、アイデンティティーとして自分が何人かってことで混乱もするだろう。自分は日本人1世でほんとによかった。ここに溶け込めないにしても、アイデンティティーで混乱しないからだ。ああいう日本にいたら当たり前のことが、ここだと生まれながらに混乱する人たちが山のようにいる現実。溶け込めばいいのに溶け込めきれないこの感じ。逆に溶け込んだ人をコミュニティーが阻害していじめる風潮。これって時間が解決する問題なんだろうか。ふと、日本にも同じ問題があったのを思い出す。在日。ただ、在日の場合ははっきりと表面化しないから余計ややこしい。名前も変えて一見日本人みたいになってるから。ネットが出てきて、そのあたりが浮き彫りにはなってきた。それが良かったのか悪かったのか。